宗教は全て、最終的に辿り着く所は同じという人がいます。
それは正しい場合も有るし、間違っている場合も有ると言えるでしょう。
そこで私は宗教学者では無く、あくまで霊的修行者の一人ですが、その視点から大まかでは有りますが、世の中にはどういった宗教が有るのか少しだけ確認をしてみたいと思います。
① 聖典や経典が有り、それを学び読誦し、ひたすらそれに則って信仰や日々の生活規範を判断する。信仰の実践としては、戒律を守り、祈りを行い、奉仕活動をする。神や仏は認めるが、霊魂の存在については曖昧に捉えている事が多い。
② 伝統文化の継承やその儀式を重んじる。聖典や経典の学問的解釈を探求する。その為、神や仏、霊魂といった目に見えない存在は認めない。例えば「神は昔の偉業を為した人間を神として奉った」とも主張する。
③ 聖典や経典は有るが、理論的な解釈よりも修行の実践を通じて、聖典や経典に書いて有るその真義を探ろうとする体系。修行の過程に於いて、病気直し、祓いや除霊といった霊術を、その人の修行の段階に応じて使えるようにも成る。但し現代の一般人が行うには、肉体への負担が大きかったり、時間も大変掛かるので不向きな部分も有る。
④ 修行や霊的トレーニングを全く積む事も無く、他者を救う為として、手かざし等の霊的技術を安易に授ける団体。
⑤ 教祖等を通じたお告げによって、人生を上手に生きる為の教えやノウハウ、開運を目的としたまじない、呪文などを指導する。またそうしたグッズも販売される。教祖も信者も特に修行のようなものは行わない。
⑥ 最近、テレビ等で世間を騒がしている、反社会的、非常識で他者へ迷惑を掛ける事を厭わない集団。反社会的な行動は世の中を良くする為だと肯定しようとする事も有る。社会常識を逸脱した行動や言動が多い。所謂、カルトとも言われる。
①は真面目で穏健的。伝統的宗教にも新興宗教にもそうした団体は有る。但し霊的な世界の真実・神秘を知りたいと思っても、往々にしてそこまで答えられる人が居ないのが現状。
②は現代の多くの伝統宗教が、そうした傾向に有る。あまりにも学問的・形式的と成って、そこに純粋な信仰や霊的世界の神秘を見出す事は非常に難しい。
③は例えば日本では、密教のような秘教的な宗教と言える。秘伝・口伝が多数有り非常に奥は深い。正しい師匠につけば、飛躍的に霊的な成長を得る事が出来る。霊的世界の薀奥を垣間見るのも不可能では無いと言える。但し、誰でもそうした先生の弟子に成れる訳では無く、また修行も厳しい為、忙しい現代人にはなかなか難しい。
④は他者を救う為の霊的技術、つまり霊術とは、本来ある段階まで修行・霊的トレーニングを積んで十分な力を付けてからでないと、自分も相手もいずれ共倒れに成ってしまいます。それは古くからの鉄則ですが、最近は数日または数時間の研修で誰でもすぐに出来るように成ると言う・・・。上手い話し軽薄なものは本物だった試しは無いのは、誰でも少し冷静に成れば分かるのでは無いでしょうか?
⑤は新興宗教や最近、流行りのスピリチュアルな団体に多い形態。宗教臭さが少ない為、ファッション感覚で集まる人は非常に多い。しかし、霊的に深い何かを求める事は出来ない。
⑥は非常に残念な事では有りますが、教祖や幹部達の狂気と策略によって、真面目な信者まで振り回され、信者にも社会にも不幸な結果を招いてしまう。そして他の真面目で穏健な宗教・霊的団体まで、カルトと同類として見られるように成ってしまった。
さて我田引水では有りますが、私の所属する「契山館」はどうでしょうか。
一見すると上記③の秘教的なものに近いかも知れません。
しかしながら「契山館」はあくまで忙しい現代人の為の「霊魂学」を説き、「霊的トレーニング」を実践しようとする団体です。
その為「霊魂学」は平易な言葉で霊的世界の真実を表現する事を目指し、「霊的トレーニング」は短い時間で肉体的苦痛も無く、効果的に肉体や霊的な部分の健全化を図り、そして霊的身体の強化、霊的カルマの解消による魂の向上、自身の霊的生命体としての全体を成長させる事を試みます。
出家などする必要は無いし、私自身、妻も居れば子供も居て、普通の会社員として働き、家族サービスも大切に考えています。
契山館の会員は全員、全くの一般人として暮らしています。
他者や社会に迷惑を掛けず、普通の人として生活を送る事で、寧ろ様々な経験も積めるし、もちろん人として美味しいものも食べ、恋もして、そうした事が人の霊的カルマを解消し、霊的な進歩・向上にも却って通じると考えています。
戒律は一切無く、しいて言えば他者に迷惑を掛けない事。
そして一日の内、無理の無い範囲で、僅かで良いから霊的トレーニングをする事。でもそれも強制では有りません。
そうして霊的トレーニングを積んで行けば、一般人で有りながら、聖職者と成らずとも、他者への病気直し、祓いや除霊といった霊術を行使する事も可能と成ります。
また霊的トレーニングによる霊的な進歩・向上によって、自身の守護霊・指導霊を始めとする高級な霊魂と密着出来るように成って行くので、この世の人生も自身の生まれた本来の目的に向い易く成るし、死後もより高級な世界に上がり易く成ります。
それは風船が法則によって、自然に上に上がって行く事と似ています。
世の中にはいろいろな宗教や霊的な団体が有ります。
確かに目指す所が同じで有って、無謀な到達方法で無ければ、早い遅いは有っても、結果として同じ所に辿り着くかも知れません。
しかしながら危険なルートを選んだり、そもそも目指すべき山が違っていれば全く違った結果を生む事に成るでしょう。
また先達が安易でいい加減な人ならば、頂上に辿り着けないばかりか、大きな事故に巻き込まれるかも知れません。
どういった山を目指し、登山ルートや登山方法を取るかは人の自由意思と言えるのでしょう。
とは言え何がより正しいのかしっかり判断し、危険な山、危険なルート、危険な方法は選んで欲しく無いと心から願うものです。