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Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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表面の幸せ / 真の幸せ

富士迎春

[申年] ブログ村キーワード

いよいよ2016年と成りました。

今年は申年ということで、申年の「申」は「草木が成長し、付けた実も充分に成熟する時期」を表すそうです。また「申=猿」として「災厄が去る」とも言い、猿は神の使いで有るとか、山神の化身ともされて来ました。

今年の正月は、気候も穏やかで申年に相応しい出発に成ったように思います。神社仏閣への初詣も好天に恵まれ、参拝者はかなり多いようです。

年末年始を節目として、正月に神仏の御前に詣でる習慣は、日本の良き伝統の一つとも言えるのでしょう。

しかしながら、伝統も形のみ受け継がれ魂を失ってしまうと、それは形骸のみが残ってしまいます。年に一回しかお参りをせず、虫の良い事しか祈らない人に対しては、もし自分が神社仏閣の奥で、祈りを聞いている神仏の立場に立つとすればどうでしょうか?力を貸そう。助けてあげようとは、なかなか思えないのでは無いでしょうか?

私達の日常に於いても、家族や親戚、友人ならまだしも、普段、関わりの無い見ず知らずの人が、無礼な態度で何かの協力を求めて来ても、そうした人に、何とかして上げようとは、なかなか思えるものでは有りません。やはり最低限の礼儀と普段からの関わりの深さが、どれだけ協力出来るかの指標にも繋がって来るかと思います。

勿論、本当に困っている人に関しては、その限りでは有りませんが・・・。

今や、日本の初詣は、そうした事に疑問を持つ人は、参拝者にも、神職・僧侶にも少なく成ってしまったように思われます。「周りがそうなら、自分もそうしても構わない」と世の中の風潮に流され、麻痺してしまっている感が有ります。特に、日本人の場合、風潮や流行りに流され易く、個性や信念よりも、兎に角、人数の多い方に付く事が正しいと思う傾向が強いように思われます。

仮に、何かしら願い事が叶ったとしても、それで本当にその神社仏閣が素晴らしいと言えるのでしょうか?もし、願いが叶えられ大金持ちに成る事が出来たとしても、それが本当に、その人の人生にとって、真の幸せと言えるのでしょうか?

真に人間の事を愛し、考えて下さる本物の神仏なら、極端な例かも知れませんが、寧ろ、その人を一度、貧乏のどん底の経験をさせた方が、長い人生で見てプラスに成ると判断される事も有るかも知れません。人間社会に於いても、甘やかすだけの親や指導的な立場の存在は立派とは言えず、子供や後進の真の成長を願うからこそ、時に厳しい事も言い、時に試練を与える事も有るものです。

故にどんな願いも叶えてくれるという所には、もしかすると魔物のような存在が居座っている可能性も有ります。そうなると悪魔に魂を売って、ご利益を掴んでいる事に成ります。悪魔・魔物であれば、最終的に人の魂を自分のものにする事が出来るなら、凡ゆる願いを叶えてくれるでしょう。付けを払う時が来れば、いずれ地獄に突き落とされます。

如何なる世界も虫の良い話しは有りません。しかし何故か、日本の人達の多くが神社仏閣には、それを求めてしまいます。

人は表面の幸せのみを追い求めても、真の幸せには至れません。

例えば、今年は穏やかな正月です。一年のスタートでも有りますし、正月の間はそれを喜んでいても良いと思います。

しかし正月を過ぎたなら一度、掘り下げて考えてみる必要もあるのではないでしょうか?ひょっとすると、季節外れの穏やかな天候も、地球温暖化による異常気象の表れの一つかも知れません。今や、地球温暖化は、学者さんの空想や夢物語ではなく、現実のものとして浮き彫りにされて来ています。

何時までも能天気で居るのでは無く、今後の対策や警戒、注意も具体的に考えていく必要が有るでしょう。また温暖化のみならず、世界で起きている天災・紛争・経済などの凡ゆる問題は、実は霊的な原因も複雑に絡み合っています。

水波霊魂学では、人には「過去世」が有り、「何度も生まれ変わりを経験している」と言います。その過去世の経験の中で、多くの成功や失敗、喜びや苦しみを味っています。

そうした記憶は、潜在意識の奥の奥に引き継がれ、今世に於いても、過去世の経験と似たような状況に出会う時、甦る事が有ります。それは、過去世と同じ失敗を繰り返したり、表面の自分では分からないけれど、ある人を嫌ったり、ある人には好感を持ったりします。

また過去世に於いて、自身の良心に反する行為を犯していた場合、その償いをしたい、という意識も眠っているようです。例えばの話しですが、過去世に於いて◯◯民族に対し暴力的な迫害をしていた場合、今世に於いては「◯◯民族に対して償いをしたい」と潜在する意識は思っている事が有るのです。

そうした過去世よりの記憶に影響された意識を「霊的カルマ」と言います。霊的カルマが、人生の様々な岐路に於いて大きな影響をもたらしています。

それは、過去世に於いて、他に命を奪われた、奪ったという場合も有り、その時の後悔や苦しみは非常に強い心情で、表面の意識でコントロールしたり、自覚するのは難しく、殆どの場合は、無意識の内に振り回されてしまいます。

更には、高低様々な霊魂のインスピレーションも加わり、一つの判断をする上で、表面の自分には分からない次元で、凡ゆる影響力に左右されています。

そして世界中の一人一人が、そのような霊的カルマや霊魂の影響により判断した結果・集積が、現在の世界の情勢だと言えます。低い霊的カルマや霊魂の影響により、この世の霊的な気(エネルギー)の質が低く成れば天変地異も起きやすく成ります。

故に、人類が真の平和や幸せに近づくには、物理的な対策も勿論大事ですが、それに併せて本来、霊的カルマを清め、解消する事が不可欠なのです。霊的カルマを清め、解消する方法を水波霊魂学では「神伝禊法」として説いています。

似たような霊的技法は日本の古代や世界の一部でも、霊的な達人により開発されましたが、仮にそうした技法を手に入れたとしても、現代社会は大変、複雑に成り、霊的な事情も同様に複雑化した為、現代では通用しにくく成っています。

「神伝禊法」は現代の複雑な霊的事情を鑑みて、水波一郎師が神霊との契約(約束事)を交わし、現代人の為に作成されたものです。

是非、より多くの方が、邪気や低い霊魂を退け、自身の魂・幽体をも清め得る「神伝禊法」を体験され、人生の真の目的、幸せへと向かわれる事を願ってやみません。

◆ 水波一郎 著 『神伝禊法』

http://www.amazon.co.jp/dp/4865430105/

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テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

2015年 未年(ひつじどし)

明けましておめでとうございます。2015年は未年(ひつじどし)。

羊は中国では天下泰平をもたらす吉祥動物の一つとされるそうです。実際、羊はおとなしく従順で素直な動物です。

昨年は、いろいろな事の起きた年ですが、今年は未年(ひつじどし)に相応しい一年である事を願います。

富士

テーマ: 心のつぶやき
ジャンル: 心と身体

悲しき事

世界的に紛争や戦争が多発し始めています。

また緊張状態の中に有るのは、日本も例に漏れず含まれています。

中には、宗教の名を借りて、武器を手に取り、戦う人達も居ます。

更には、ただ戦うのでは無く、非常に残酷な方法で人の命を奪う人も居ます。

仮に国や家族を守る為、戦わざるを得ない事が有ったとしても、例え、敵で有ったとしても、どんなに憎い悪い相手で有ったとしても、人権を無視した残酷な方法は決して用いられるべきでは有りません。

戦争や紛争は一旦起きてしまうと、簡単に命が失われますし、なかなか止める事が出来ないものですが、それでも人が人で有る以上、最低限のモラルは有ると思うのです。

勿論、戦争は起きないのが一番な事では有りますが・・・。

最近のニュースなどを見ていると、それらの行為は、とても人間の所業とは思えません。

もし、本当に信仰者で有れば、神を、高貴なる存在を真剣に信じている人が、そのような事を出来るものでは有りません。

恐らく、裏では大きなお金や権威・権力の拡大といった事が、大義名分として宗教の名を借りて行われているのでは無いかと推測されます。

そして、半社会的な考えを持つ人を集めては、そうした人達を利用しているのかも知れません。

所謂、死の商人と言っても過言では無いのではないでしょうか?

あまりにもあまりにも酷過ぎると思います。

大きな流れは私達、一般人にどうする事も出来ないですが、このような流れが日本にまで飛び火しない事を願うものです。

そして、如何なる宗教・宗派であっても、本当に真面目に敬虔な信仰者で有れば人を傷付けたり、非倫理的・非道徳的な事は良心に照らして、出来るものでは無いという事を、多くの人が知って頂きたいと思うものです。

暴力的・破壊的な事をする人の多くは、利用され踊らされているのだと言えるでしょう。

テーマ: 心のつぶやき
ジャンル: 心と身体

正体

人の正体を見抜くのは難しい事だと言えます。

高級なスーツを身に纏い、美しく着飾り、美辞麗句を並べ立てられると、「この人は素晴らしい」と、つい思いがちなものです。

それは人が人の表面、姿・形しか見る事が出来ず、心の中までは見えないからと言えるでしょう。

それでも出会った方が、自分が見たままの、内面に於いても一点の曇りも無く、表も裏も無い、真に素晴らしい方で有れば、それは幸いだと言えます。

しかしながら、世の中、そうとばかりは限りません。

「世の中に美味い話しは無い。」と分かってはいても、何時の間にか、巧みな言葉に乗せられ、手練手管に巻かれ、有らぬ方向へと迷い込んでしまう事が有るものです。

そうした事も取り返しの付くような事で有れば、一つの人生経験として済ませられるでしょう。

しかし、そうでない場合、人生を棒に振りかねない場合も有ると言えます。

所謂、本当の悪人は必ずと言って良い程、善人を装って近付いて来ます。

誰一人、「私は悪人です。」と名乗る人は居ません。

人の内面や経験して来た事は、良く良く見れば、その人の美醜に関係無く、その表情や雰囲気に滲み出て来るものです。

しかし真に悪意を持って近付いて来る人は、「自分は善人ですよ」と言わんばかりに、素晴らしい笑顔でもって、それを打ち消し、悪意を微塵も感じさせません。

寧ろ、世の中には一見、とても怖そうだけれども、話してみると、とても優しい人だったという事も良く有るものです。

人は見掛けだけでは、判断出来ないと言えるでしょう。

霊的・宗教的世界の観点から言えば、例えば仏教ではたくさんの仏様が居らっしゃいます。

柔和な表情の仏様。一方で大変、怖い忿怒の形相をされた仏様も居らっしゃいます。

どちらも、仏様の一面のお姿で有って、いずれも尊い仏様だと言えます。

忿怒の形相の仏様の代表としては、不動明王と言う仏様が居らっしゃいます。

怒っている姿が決して悪いのでは無く、破邪顕正の頼もしい仏様として、信仰されている方は多いようです。

またキリスト教で言えば、イエス師は神殿の前で商売をする人達を、聖地を汚すものとして、きつく叱り付けたと言います。

それらは、宗教的、霊的に見て、人は絶対に怒ってはいけないのでは無く、時と場合に応じて、怒りも必要で有る事を表していると言えます。

もちろん、不必要に一日中、怒ってばかりいては、無用な敵を作り、協力者を失い、自分も周りも不幸にし、正しい行為とは言えないでしょう。

しかしながら、このままでは、多くの人が崖に落ちてしまう。そうした時は怒ってでも、「そちらの方向は危ない!」と叫ばないといけないのでしょう。

多くの人が、あまりに危険な方向に向っている時、何一つ心を揺らす事無く、冷静にただ見ているだけというのは、人の道、更には神の道にも反するのでは無いでしょうか。

とは言え、崖に向う人達が、それを止めようとする人を「何を言ってるんだ。」と突き飛ばし、一切無視するなら、それ以上、何も出来るものでは有りません。

それは人の自由意志と言えましょう・・・。

しかしながら、歴史上、いつも世の中の未来を案じ、警鐘を鳴らして来た方々は、いつも無視され、それだけならまだしも迫害され、罵られ、磔にまでされて来たのが現実と言えます。

羊の仮面を被り、もっともらしい事を並べたて、「私は愛の化身。平和の天使。」と振る舞う人に、気を付けなければ成りません。

その変装は巧妙で、決して尻尾を見せる事は有りません。

人にとって都合の良い事ばかりいう存在には注意が必要です。

親が子に何かを言う時、優しい事ばかり言っては居られません。

その子の将来を考えれば、時に厳しい事も言わねばなりません。

何をしても「いいよ。いいよ。」では、その子は我儘放題で、将来、人生の落伍者と成ってしまうでしょう。

真に子供の事を想ってくれるからこそ、怒ってもくれる・・・。

キリスト教では、キリストの再臨を願う方も多いようです。

しかし仮に現代にキリストが再臨為されても、果たして人はそれに気付けるのでしょうか。

誰一人として、2000年前のキリストの顔を知る人は居ないのです。

また2000年前と同じ教えを説かれる事も無いでしょう。

必ずや、現代のその国の人達の知性や文化に合わせた教えを説かれる筈です。

キリストが再臨されても、無視しているかも知れない。ひょっとすると足を引っ張っているかも知れない。

ただ言えるのは、そうした真にメシアと言われる方は、人にとって必ずしも都合の良い事を言って下さるとは限らないと言う事です。

寧ろ、厳しい事を仰り、世間からは大悪人と呼ばれているかも知れません・・・。

2000年前、イエス師は大悪人として、磔にされてしまいました。

もしキリストが現代に再臨されるとすれば、人はキリストの弟子達がそうであったように、キリストの高貴な何かに感応し、「はっ!」と目覚めなければならないと言えるでしょう。

それは表面の姿や言葉の良し悪しによるものでは無く、理屈でも有りません。

霊的に高貴な何かに感応し、心を震わせ、自然に平伏してしまう。

人はそうした感性と素直な気持ちを常に持っていたいものです・・・。

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ジャンル: 心と身体

冬の芽

冬。

草も木も花々もひっそりと静まり返る。

枯れた枝。枯れた葉っぱ。

でも寒さに耐えながら、毛に覆われた冬の芽にいっぱいの命を蓄えている。

春を夢見て・・・。

冬だからこそ、力を蓄えよう。

冬だからこそ、見つめよう。

冬だからこそ、省みよう。

未来は必ずやって来る。

でも未来を切り開くのは自分自身。

何もしなければ、芽は開かないかも知れない。

何もしなければ、時はただ無常に流れて行くだけ。

夢を見よう。その上で一歩を踏み出そう。

未来は与えられるものでは無く、未来は作って行くものだと思う・・・。

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