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Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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祭り

[お祭り] ブログ村キーワード

お祭り。それは世間一般では、楽しい行事として捉えられて居ます。

それは言葉の定義をそうしたものとして捉えるなら、それはそれとして良いのでしょう。

しかし、お祭りの語源を考えると、それは本来、「神祭り」から来ていると言えます。

もし、そこに神への信仰は無く、単に楽しく騒いで、日頃の疲れや鬱憤を解消し、リフレッシュする事のみが目的なら、あまり「祭り」と言う単語は相応しく無いように思われます。

勿論、楽しく騒ぐのが悪い訳では有りません。ただ「祭り」と言う用語を用いるのだとすれば、その根本に神への信仰が必要なのだと思うのです。

何故、信仰が必要なのか?

神社のお祭りで有れば、本来、必ず神社の中で神事が行われて居ます。

日々、真剣に修行を重ねた神主さんと、真面目な想いで、神輿の担ぎ手や、獅子舞、お囃子などの参加者が、そこへ参列し、神事を行う事によって、高級な幽気が降りて来ます。

そして参加者はその高い幽気を吸収し、街へ神輿なり、獅子舞、お囃子などで繰り出します。

そして練り歩きや、お囃子の音色に乗せて、神社で吸収した高い幽気を、自然に振り撒き、流して行く事が祭りの本来の目的だと言えます。

また真に力の有る神主さんが、霊的な目印、つまりご神体に高い力を降ろし、それをお神輿に載せ、担ぎ手が街を練り歩くなら、より一層、街中には高級な幽気が流れ、街の霊的な環境は良く成って行きます。

霊的な環境が良く成ると言う事は、その街の人達は、より高貴な霊魂との接点を持ち易く成り、霊的な事柄に起因する災いは減り、人が生まれてからの、本来の使命や目的を達成し易く成ります。

だからこそ、本来、祭りには信仰心が必要なのだと言えます。

実はこれは、多くの人達の人生をも左右する一大事です。

もし、真に高貴な力が降り、神輿や獅子舞、お囃子などで、高い力が街中へ本当に流れるなら、常に綺麗な水が入り込み、滔々と流れる川のように、街で淀んで居た邪気は祓われ、街の霊的な新陳代謝が図られます。

また人によっては、傍に寄って居た未発達な霊魂が離れるかも知れません。

または街のある人が、高貴な力に感応する事によって、明日通れば、事故が起きる筈の道路を選ばないかも知れない・・・。

そうすれば、人一人の人生が変わり、また命が救われた事に成ります。

霊的な救いは本来、霊能者だけの専売特許では有りません。

霊能力が無くても、真剣な信仰心。神を求める熱い想いさえ有れば、そうした事は誰にでも不可能では無いのです。

大切なのは、実在の高貴なる力が降りて来るかどうか・・・。

信仰心の無い所に高い幽気は、決して降りて来ません。

それは高貴な霊魂にも個性が有って、求めない人、不真面目で無礼な人には、決して力を降ろそうとは思われないからです。

よって楽しい行事の時は、力んでいても仕方無いので、肩の力を抜けば良いのですが、少なくとも神の前に出るという時は、決して神妙な気持ちを忘れてはならないと言えます。

今回は、神社のお祭りを例えに出しましたが、他の宗教のお祭りで有っても、原理原則は変わりません。

高貴な霊魂で有れば有る程、特定の宗教・宗派のみを意識する事は有りません。

真剣な修行をして来た聖職者が居て、そうした人が霊的な中心と成り、多くの人が集まり、高貴な存在を求め、高貴な力を降ろして行く。

その上で、その高貴な力を各地へ流して行く・・・。

それが「祭り」の真義で有り、凡ゆる宗教行事・儀式の目指すべき姿と言えるでしょう。

真の意味での「祭り」は人の霊的な救いにも迫ります。

単なる伝統の継承では無く、実在の高貴なる存在を求め、実在の高貴な力をこそ、求めるべきだと言えます。

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テーマ: スピリチュアル
ジャンル: 心と身体

夏祭り

夏と言えば、夏祭りを思い出の一つとして思い起す方も多いのでは無いでしょうか。

そして夏祭りのイメージは多くの方が、神輿(みこし)や山車(だし)の練り歩き、派手な踊りそして夜店では無いかと思います。

しかしながら、夏祭りを行なっている神社の鳥居の奥で、秘かに神事が行なわれている事を知る人は少ないのでは無いでしょうか。

霊魂にとっても、祭礼は重要な行事で有るようで、鳥居の外で行なわれている賑やかな催しよりも、鳥居の中で静かに行なわれる神事に、多数の霊魂が集結するようです。

そしてその霊魂の高低は、神事を行なう神主さんや参加者の質によって決まるようです。

神主さんが日々、本来、神道の修行法で有る禊(みそぎ)を行い、自らを清め、真剣に神を信じて居れば、
その祭礼には高貴な霊魂が降りて来やすく成ります。

逆にいくら難しい学問を修めていても、神や霊魂の存在を全く否定していれば、高貴な霊魂は決して降りて来ませんし、寧ろ、未発達な霊魂が寄りやすいと言えるでしょう。

またいくら神主さんが本物の信仰者で有ったとしても、その祭礼に集まる参加者が不真面目ですと、その場の霊的空間は低い状態に落ちてしまいます。

もし神主さんと参加者の神への真剣な想いが一致し、高貴な存在にしっかり想いが届けば、神社のご神体を霊的な目印として、祭礼の場に高級な霊的エネルギーが降り、高級な霊的空間が作成されると言えます。

高級な霊的エネルギーが降りて来ると、それだけで参加者が日々の生活で身に付けた、霊的な穢れが祓われたりもします。

また参加者に関わる霊魂が、高貴な霊魂によって導きを受ける事も有るようです。

最近は、パワースポットと言う言葉が流行り、言葉を言い換えれば昔から、聖地と言われる場所へ行って、何らかの力を貰おうといった方が増えているようです。

その昔、多くの人が神を素朴に信じていた時代は、高級な霊的空間を有する所謂「聖地」は有ったようです。

しかし現代のような物質偏重主義の世の中と成ってからは、高級な霊的空間はどんどん消え去って行きました。

それは高貴な霊魂は神や霊魂を信じない人には、決して力は降ろされないからです。

それでも、もし高級な霊的空間を求めたいという時、その目安はその聖地に仕える聖職者と集まる人の霊的な質が大切と言えるでしょう。

単なる流行りでは、高級な霊的エネルギーと出会う事は出来ません。

テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

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