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Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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メイド イン ジャパン

[日本製] ブログ村キーワード

日本には日本人だからこそ出来る、行き届いた細やかな配慮と技術が有ります。

それは日本人が祖先より受け継いで来た文化、目に見えない心や遺伝。そうした影響も有るのでしょうか。

それ故に日本製品と言うと、それだけで世界中の人が安心して使って貰えるような、信用有る一つのブランドへと成長して行きました。

しかしリーマンショック以降の経済的打撃、新興国の台頭などから、日本経済はまだまだ立ち直ったとは言えません。

寧ろこれからは、一時期のような絶頂を狙うよりも、長く安定した路線を目指すべきなのかも知れません。

盛者必衰の理。繁栄の頂点を極めた者はいずれ陰りを見せるもの。

この世に永遠のものは無く、ボクシングで例えれば、ずっと何時までも、チャンピオンで居る事は出来ません。

皆が必死に、追い付け追い越せで、必ずいつか後を追って来る者に、その座を奪われます。と言うよりも、本当は自身の肉体の老いに勝てないのだとも言えるでしょう。

それ程に、常に頂点に居る事は難しいのだと言えます。

しかしそれでも日本の古代には、他国には無い、非常に高貴な霊的文明が有りました。

その霊的な伝統は、今では形骸のみが僅かに残って居ると言えます。

しかし目に見えない霊的に高貴な力は、消える事無く現代にまで受け継がれて来ました。

それは時代の節目、節目に於いて、古代よりの高貴な力を、守り伝えて来た方々が居た為と言えます。

その力が日本の象徴とも言われる富士山に隠されています。

今や富士山は「世界文化遺産」として登録されました。

それは誰もが知るように富士山が生み出した文化。「信仰と芸術」をテーマにして居ます。

「自然遺産」として登録されなかったから、その逃げ道としてでは無く、富士山は古代より、霊山として多くの人の信仰の対象だったのですから、そうした姿こそが見直されるべきと言えるでしょう。

現代に於いて、神々の世界より見た時、神的なアンテナと成り得る高貴な山は、世界中を見回しても日本にしか無くなってしまいました。

まさに日本人の祖先が、守り伝えて来た、真の意味での尊い遺産なのです。

仮に日本が経済大国の座から外れても、それとは無関係に、日本人が真の意味で誇りに思って良い事だし、自信を持って良い事なのです。

しかし現代はあまりにも、無神論者が多く成り、神や霊魂を否定する為に、古代より引き継がれて来た、高貴なる力は消えそうに成っています。

高貴な力を守り伝えようとする人が全く居ない為、その力は風前の灯火と言っても過言では無いでしょう。

その光が消えるのも、輝きを増すのも現代の私達次第。

富士が神界より見ての、神的アンテナとしての輝きを増すなら、日本のみならず、世界全体の真の救いにも繋がるのだと言えます。

その時、宗教、宗派、思想を超えて、日本の富士山より降下する、神気、霊気に多くの人が感涙する事でしょう。

それ程に、私達、日本人の双肩には本来、使命と役割と、重い責任が掛かって居るのだと言えます。

受け継いで来た高貴な力を決して絶やさない事。いやそれだけでは役に立ちません。

その輝きを強くし、富士の頂上から裾野へ・・・。そして世界中にその力が流れて行くよう努力して行かなければ成らないと言えます。

それには先ず、古の達人が言われた「汝の神を愛せよ」。

そして霊的なトレーニングによって、富士から流れ来る高貴なる御力を受け取れる自分を目指す事。

そこから全てが始ると思います。

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テーマ: スピリチュアル
ジャンル: 心と身体

視覚

人は目によって、凡ゆるものを視覚しています。

それは当たり前のようで、実は当たり前ではない。人の肉体の神秘と言えます。

人の目は、オートフォーカスのカメラのような精密機械であり、それ以上に高性能と言えるでしょう。

人の目が何かを見た時、その光の像は、先ずカメラの絞りにあたる「虹彩」で光の量が調整されます。

次にカメラで言うレンズに当たる「水晶体」を通ります。

「水晶体」でピントが調節され、「網膜」の部分で光の像の焦点が結ばれます。

「網膜」はカメラのフィルムのようなもので、光の色や明るさを感じ取る「視細胞」が集まっています。

「視細胞」で受け取った光や色の情報は、電気信号に変換され、「視神経」を通り、現像所とも言える脳の視覚野へ送られ、映像化(写真として現像)されます。

そこで初めて、人は視覚したものを映像として認識する事が可能に成ります。

人の視覚は、そうした電気信号に変換されたものにしか過ぎないので、人の脳で認識しているものには誤差が有り、実在のものとは異なっているという説も有ります。

それでも人の目はこうした事を瞬時に行い、実に不思議で、実に大切な器官の一つだと言えます。

しかしながら、こうした事からも分かるように、人の目はあくまで物質の光や色を認識する構造で成り立っていると言えます。

よって本来は霊的な存在は見えないのが普通なのです。

それと同様に霊魂も物質としての肉体を持っては居ないのですから、物質的な光や色を知覚する為の目の構造を有しては居ないと言えます。

それは霊魂が地上の人間を視覚するという時、あくまで地上の人間の霊的な部分しか見えない事を意味します。

つまり見えるのは、人の肉体とダブっている「幽体」。そして幽体から発する幽的な光としての「幽体オーラ」。更には幽体に流れる血液の如し「幽気」だと言えます。

肉体としての器官を持たない霊魂は、地上の人間が思っている以上に、地上の世界が見えにくいのです。

その為に、もし地上の人間が神や仏に何かを祈らんとする時、またはお祓いのような何らかの霊的な技術を行うという時、その為には約束事が必要と成ります。

分かり易い所で言えば、キリスト教の「アーメン」。仏教の「木魚」。神道の「柏手」等々。

地上の人間がそうした約束事を守る事で、神や仏といった高貴なる存在と人との間を繋ぐ高級な霊魂方は、人間に力を掛け易く成ります。

心さえ有れば、形は関係無いと仰る方も有ります。

しかし現実はそんなに甘くは有りません。

心も大切であり、形も大切なのです。

霊的な世界は双方が相俟って、この世とあの世という次元の壁を、超える事が出来るのです。

そうした霊的な約束事の集大成として、私の所属している「契山館」では「霊的トレーニング」の実修を行なっています。

「霊的トレーニング」を実修する事で、徐々に自身の守護霊・指導霊を初めとする、高級な霊魂との結び付きが深く成り、自身が生まれた本来の目的に向かい易く成ります。

それは高級な霊魂に導かれ、力を与えられながら、勿論、この世の人としての幸せをも含め、魂としての長い歴史の向かうべき、真実への道が示されるのだと言えます。

カメラに映る映像は、肉眼で見た映像と必ずしも等しくは有りません。

また敢えてフィルターを掛ける事によって、本来の映像を180度変化させ、全く違う映像の世界を作り上げる事も有ります。

写真の世界は、それによって芸術性を求めているので、それで良いのだと言えます。

しかしながら霊的な世界は、色眼鏡で見ていると、仮想の世界に迷い込み、迷宮から永遠に抜け出る事が出来なく成るかも知れません。

故に、常に真実を見つめ、真実を目指して行きたいと思うものです。

多くの方が「霊的トレーニング」を実修されて、高級な霊魂と二人三脚の人生を歩んで頂きたいと心より願うものです。

テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

春は必ずやって来ます。

どんなに今年の冬は寒かったと言っても春は来ます。

3月に入ってから、かなり寒さが緩んで来ました。

肌寒いとは言え、マフラーや手袋が無くても平気です。

今年は梅の花の開花がかなり遅れたようですが、それでも今では通勤路で咲いている梅の花は満開。梅の花の香りがとても香しいと言えます。

しかしながら、日本のような四季の有る国は必ずしも多くは有りません。

冬ばかりの国も有る。夏ばかりの国も有る。そういった国には春は存在しません。

春と言う概念は四季の有る国だけに通用すると言えるのでしょう。

霊的な春はどうでしょうか。

待っていれば来るのでしょうか。

ある人達はただ待っていれば、キリストが再臨する。神の王国が地上に現れる。この世の次元が上昇すると言います。

しかし霊的な春は地上的な春とは異なります。

希望は常に持たなければ成りませんが、ただ待っているだけでは何も実現はしません。

霊的な春は神や高貴な霊魂方が与えて下さると言えます。

神や高貴な霊魂方は常に人の自由意志を尊びます。

霊的な春はそれを求め、それ相応の努力を行なってこそ、初めて近付いて来ます。

古の達人が言われたように「求めよさらば与えられん。」それが全てだと言えるでしょう。

てんとう虫

[てんとう虫] ブログ村キーワード

先日、天気の良い日に子供と公園で遊んでいると、この時期にも関わらず、てんとう虫が居るのを見付けました。

それも何匹も居て、良く見るとあちこちの草の葉っぱの裏には、てんとう虫のサナギも居ました。

てんとう虫の中には、まだ赤い色が薄く動きの鈍いのも居ます。

どうやら気温が上がったので、たくさんのてんとう虫達が、サナギから羽化したようです。

でも長い間、雨を受けたりすると、羽化出来ずに死んでしまうものも居るそうです。

人間は本来、霊的な生命体ですが、この世からあの世への移行の過程は、虫達の一生に似ているとも言えるでしょう。

この世で生きている間は、人は肉体の内側に幽体を秘めていて、多くの方は、幽体については全く意識していません。

幽体の霊的状態が、肉体や広い目ではこの世の人生に影響を与えないわけでは有りませんが、それでも肉体さえ有れば、この世を生きて行く事は可能です。

しかしながら、あの世へは肉体を脱ぎ捨て、幽体を表面の身体として、生活するように成り、否が応でも幽体を無視する事は出来なく成ります。

生前、あまりに攻撃的な念、低い幽気や悪い霊魂の影響を長い間に亘って受けていると、幽体は大きな傷や不調を抱え、霊的な質も下がってしまいます。

そういった霊的状態であの世(幽界)へ入ってしまうと、例え、心は綺麗で立派でも、より霊的エネルギーの強い世界では、その幽体が強い波動に耐える事が出来ません。

法則としてその幽体が一番楽な、エネルギーの弱い世界へと吸い込まれていきます。

だから人は生きている間に、霊魂を知る必要が有ります。

正しくサナギから成虫へと羽化出来るように、サナギの時期とも言える、この世の時期に、高貴な霊魂と交流し、高い幽気を吸収し、悪い霊的影響を退けた方が良いと言えます。

一般にてんとう虫は、畑の野菜に付いたアブラムシを食べてくれる益虫とされています。

しかし中には農作物の葉っぱを食べてしまう害虫とされる仲間も居るようです。

少なくとも、他の霊魂、地上の人間に迷惑を掛けてしまうような、霊的存在にだけは成りたくないものだと言えます。


てんとう虫
<霊って何?>

霊って何?

テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

ウィルス

最近はやっと本格的な秋に突入してきたかなと言った感じで、
その分寒暖の差が激しく少々風邪気味です。

風邪薬を飲んだりしながら、乗り切っています。

家族の為、多少の熱で仕事を休む訳にはいかないし、
薬でも栄養ドリンクでも何でも手段を選ばず頑張るしか有りません。

現代人は忙しさのあまり、多少無理をしても休息を選択する事は出来ず、
ひたすら働きアリのようにセッセと働きます。

本当に現代人の悲しい性と申しましょうか。

それでも気力を保ち様々な手段を使っても、
ちょっとした隙に人の肉体は病魔に付けこまれたりもします。

でも人類は、風邪一つ根本的な意味で治す薬を持っていません。

台風や地震のような天変地異もコントロール出来ません。

万物を支配しているつもりで、
実はお釈迦様の掌から抜け出せない孫悟空のようなものと言えるでしょう。

でもお釈迦様の掌の中に居る事にも気付いていないのが人類なのでしょう。

風邪と言えば細菌とかウィルスですが、そうした自然の猛威にヒントを得ているのか、
インターネットではコンピューターウィルスというものを人は作り出しました。

こうしたブログを運営していると、ウィルスメールが送られて来る事が有りますし、
会社にもそうしたものが侵入して騒ぎに成る事が有ります。

また大きくは、国家のシステムに入り込んで、国を揺るがす力も有るようです。

良くも悪しくも、コンピューターウィルスはどんどん変異し、
セキュリティシステムとのイタチごっこが常に続いています。

でもコンピューターウィルスは、自然界のウィルスと違って、
常に人の人為的な手が加わって変化しています。

余程頭の良い人が、愉快犯、ビジネスに打勝つ為、政治目的の為、
それなりに労力を振り絞って作り出したものなのでしょう。

しかしながら、何でもっと別の形で人の叡知を利用出来ないものかと素朴に疑問に思います。

その姿はまるで大自然をコントロール出来ない人間が、悪あがきをしているかのようでも有ります。

それでいて人は自然界のそして人為的なコンピューターウィルスよりも怖い、霊的脅威には全く気付きません。

物質偏重主義の人類の思想と行動によって、世の中に低い霊的エネルギーが満ち、
邪悪な霊魂の跋扈している事を・・・。

今やインターネットは正邪両刃の剣のようなもので、使い方によって物的にも霊的にも、
人を生かしも殺しもする道具と成るのでしょう。

道具は人が使うもの。全て人の意思によってその使い道が決まります。

少なくともこの道具が破壊的な方面で利用されるので無く、
多くの人の霊的な目覚めの為に利用されて欲しいものだと願うものです。

<羽ばたき>

鴨


テーマ: 思ったこと・感じたこと
ジャンル: 日記

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