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Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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神様

ある時、幼い子供が「神様は何処に居るのだろう?」と思いました。

「神様は何処に居るの?」そう親に聞いても、親は何も答えてくれません。

ある日、その子は空の雲を眺めました。

眺めていると、いつの間にか雲の形は変形し、人の形のように見えました。

思わず親に言いました。「神様が居たよ!」

もちろん本当の神様である訳が有りません・・・。

------------------

しかしながら神様を求めるのに、難しい理屈は要らないと言えるでしょう。

神様は見えない存在なのだから、理詰めで考えても、いつかは必ず行き詰まってしまいます。

子供のような純粋な想い、素朴な想い。ただ「神様!」といった気持ちの積み重ねが大切なのだと言えるでしょう。

人は大人に成るに連れ、良くも悪しくも知恵が付き、いろいろな事を難しく難しく考え、その分、純粋な気持ちを失って行きます。

現代では「科学で証明出来ないものは存在しない。」そう思う人が多く成りました。

確かに真の意味での神様は見えもしなければ、聞こえもしない。

それでもただ「神様!」。子が親を思うように自然に叫んでしまう・・・。

「ママは何処?」「パパは何処?」子がそう叫ぶ時、理屈は有りません。

ただ寂しいから。ただ親が恋しいから・・・。

人には本来、そうした気持ちが心の奥に眠っている筈です。

子供のような理屈を抜きにした気持ち。それは何時、如何なる時も大切にしたいものです。

その時、目に見えなくても、耳に聞こえなくても、神様は微笑んで下さっているかも知れません・・・。

空
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テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

かけ橋

神霊は天空高く、更に宇宙の涯の涯。言葉で言い尽くせない程、遠い所に居らっしゃる。

それは法則であり、よってあまりに霊的な距離の離れた人間を見る事も、その想いを知る事も出来ない。

と言うと神は何でも知って居らっしゃるのだから、そのように言う事は神霊に対して、失礼と言われる方も居るかも知れない。しかし神霊は法則を守られる。

もちろんあまりに偉大で高貴な存在なので、恐らく法則を破る事も不可能では無いに違いない。

しかし人間の商売繁盛や恋愛成就といった願いに、いちいち耳は傾けてはいられない。

それは総理大臣が、個々の家庭の事情を一つ一つ聞いてはいられない事と同様だと言える。

もしそうした願いや事情を聞く存在が居るとすれば、それは神霊ではなく霊魂だと言える。

しかし霊魂とは言え、人間が霊魂の事を分からないように、霊魂も地上や人間の事はなかなか分からない。

分かるとすれば、より地上のレベルに近い、決して高い方では無い霊魂。神霊のすぐ側で仕えて居らっしゃるような高貴な霊魂では無い。

真の神霊はあまりに巨大で、あまりに高貴な存在。

それでも神霊は遥か高い世界と地上を結ぶ接点として、地上に神的アンテナを作られた。

過去、そのアンテナは世界に3ケ所有った。

しかし現代では一つのみと成ってしまった。

その一つが今日本に有る。

神霊は高貴な霊魂団を従えて、日本の或る山を神的目印として地上を見晴るかす。

神霊はその自由なるご意思によって、山を通じて人類に霊的な橋を掛けられる。

しかし人間に自由が有るように、神霊にも橋を掛ける自由。掛けない自由と有る。

やがて人がその自由なる意志によって橋を渡らなければ、橋は消えてしまうかも知れない。

人の意志を無視して、橋を渡らせる事は出来ない。それは神の道では無い。

神山を有する日本は本来、経済大国ならぬ、霊的に進歩した大国として世界をリードしなければならない。

しかしそれも全て人の自由意志に掛かっている・・・。


青空

テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

幼稚園

[幼稚園] ブログ村キーワード

すっかり春らしい時節と成り、入園・入学を迎えるご家庭も多い事かと思います。

私のところでも先日、子供の入園式へ行って来ました。

子供が生まれたばかりの時は、なかなか親の言葉を赤ちゃんに理解して貰える訳では有りませんが、今では親の言う事に、いろいろな突っ込みまで入れて来るように成り、いつの間にか子供というものは、成長するもんだなとしみじみ感じてしまいます。

育児について右も左も全く分からなかったあの頃が、今と成っては昔のようで懐かしいものです。

入園式では新しい園児と両親でごった返す中、この日の為に用意して、まだ不慣れなビデオカメラを回すのは、なかなか大変でした。

慣れない上に、みんながみんなベストショットを狙って、ベストポジションを取りたいので、そういった中、自分の子供の姿を捉えるのは、簡単なようで以外に難しいものです。

良くニュースやドラマ等で、ビデオカメラを回すお父さんお母さん方を見たりして、今まで人ごとのように思っていましたが、まさか自分がそのような立場に成るとは・・・。

親は子供の成長を喜び、子供も気持ちの上では大人のような気分。

大人の真似をしたり、大人びた事も随分言うように成ります。

それで居て何か有ると泣き叫んで、「パパ、ママ」と名前を呼びます。

子供は子供なりに、全身全霊で遊び学んで、真剣に泣いたり笑ったりしています。

おもちゃ一つが壊れでもしたら、子供にとっては人生の一大事です。

大人から見ると、なんでそんな事でそこまで泣くんだろうと感じ、また些細な事で飛び跳ねて喜ぶ姿に感心したりもします。

また逆に、子供から親を見た時、大人の感情、恋愛は理解出来ないし、深い愛や知恵は尚更と言えます。

稀に幼くしても大人以上の知識や技術を持つ、お子さんも居ますが、でもやはり大人のような精神性を、持ち合わせるには、長い年月が必要だと言えるでしょう。

いつも申し上げて居りますが、人は本来霊的な生命体です。

人はこの世の生命体としては、至上の存在と言えるのでしょう。

しかしながら霊的生命体としての観点から行くとそうでは有りません。

霊的生命体である人間の親とも言える存在は、神霊そして高級霊魂方と言えます。

高貴な存在と人間の意識にはあまりにも大きな開きが有ります。

それは人の肉体の脳を遥かに超えた存在だからと言えます。

神霊そして高級霊魂方から見ると、この世では例えどんなに立派な方であっても、発展途上の魂としてしか映らないようです。

まさに幼稚園児と大人、アリとゾウ、いやそれ以上に掛け離れていると言って過言では無いでしょう。

でもだからこそ神霊そして高級霊魂方は、あまりに尊く高貴な存在だと言えます。

人の魂の本質は、子が親を呼ぶように、神を求め神の懐に抱かれたい、神の下へ帰りたいといった本性を持ち合わせています。

しかしながら、現代では霊的生命体としての自然な姿を見失い、頑なに高貴な存在を拒否・否定するのが普通のように成ってしまいました。

それは駄々っ子が、親に反抗している姿に似ているとも言えるでしょう。

子供が意地を張っていくら「パパもママもいらない!」と叫んでみても、やはりパパ、ママ無しでは生きてはいけません。

日々の食事も必要だし、躾や教育を受けなければ社会に出て行く事が出来ません。

人は過去・現在・未来、魂としての長い長い旅路を歩んでいます。

そしてこの世は本来、より上の世界へ上がる準備段階としての世界とも言えます。

この準備段階の期間に、霊的なパンを食べる。つまり霊的に高級な幽気を吸収し、それによって幽体を成長させ、そして霊的世界の基本の知識を身に付けて置く事が、幼稚園から小学校、この世から幽界に入るという時、スムーズに進む事が出来るように成るのは言うまでも有りません。

幽体の成長と、霊的な基本の知識の修得には、霊的な意味でのパパやママ、そして先生の存在が不可欠です。

人が神を求めるのは、心が弱いからでも何でも無く、本来、魂としての自然な姿。

子が親の名を呼ぶように、素直に神を求めれば良いと言えます。

人は誰しも、必死で生きています。一所懸命に生きています。
そういった中、それだけの事が加われば長い長い魂としての歴史が変わって来ます。

これだけ物質中心主義・無神論が大勢を占めても、それでも神霊そして高級霊魂方は地上の世界に目を向けて下さっています。

そのあまりに深く巨大な愛を、人は知らねばならないと言えるでしょう。

<霊って何?>

霊って何?

※ 携帯用リンク

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光と闇

キリスト教の聖典では、天地が別れ未だ混沌とした中、神は「光有れ」と宣うた時、光が現れたと言います。

それは光の前に闇が有り、闇の前に更に何かが存在する事を指しているのでは無いでしょうか。

光と言えば明るさを持たらします。

光が照らしてくれなければ、人は何の活動も出来ません。

でも光も明るすぎれば、人は却って落ち着かない場合が有ります。

寝る時は、通常の場合電気は暗くするものです。

その時々に於いての適度な明るさが必要で、逆に闇も心身の休息や安らぎの為には必要だと言えるのでしょう。

日本の神道などでは「浄闇」(じょうあん)と言って、わざわざ真夜中にかがり火だけで神事を行う場合も有るようです。

世の中では殊更に「明るい」事が最も大切だという風潮が有ります。

「笑う門に福来る」

もちろん社会生活をする上で、性格が明るいに越した事は有りません。それは人間関係をスムーズにし、人ととの関わりの中での潤滑剤とも言えるでしょう。

ただその明るさが、今有る現実を無視した明るさで、その明るさの蔭でもし泣いている人が居たとしたらどうでしょうか。努力した人が富を持つ。それは公正な競争社会として見れば仕方の無い事なのでしょう。

寝る間も惜しんで勉強し、それ相応の学校へ入り、会社へ入り更に残業三昧、努力するならそれ相応の報酬は貰うべきでしょう。

しかしながら、現代の社会は必ずしも公正な競争社会の上だけに成り立っているとは言えません。
不正な行為や不当な搾取も罷り通っていると言えます。

そういった現実を無視して、毎日、パーティーを開き、湯水のようにお金を使い「今が楽しければそれでいい」ではいつかはきっと虚しい思いに責め立てられる時も来る事でしょう。

それ以上に外部的要因により、その職を退かさせられる事も有るかも知れません。

いくら明るく楽しく、お酒も飲んで騒いでも、現実の壁や、困難は決して消える事は有りません。

明るい事。楽しい事。それはそれで良い事。

但し、それは様々な現実を見据えた上での、壁を困難を乗り越える為の活力としたいものです。

現実を見据えない、単純な明るさはただの現実逃避で有って、一つの罪と言っても過言では無いでしょう。

寧ろ、深い苦悩に耐えて来た深いその皺と眼の人を見る時、そういう人にこそ高貴な何かを見出だされるような気がします。

人は現実を見なければ成りません。

その上で対策を講じ、明るい未来を模索しなければ成りません。

単純に笑っているだけでは何も変わらないと言えます。

神や霊魂が存在するか。あの世が有るか無いか。真実は必ず一つ。

神が居らっしゃるとすれば、光も闇も、善も悪も包含し、超えてしまっているのが真の神だと思います。

人は霊的な生命体であり、神を求め霊魂を知らなければなりません。

その上で人類の未来を不幸に向けて行く「霊的カルマ」を乗り越えなければならないと言えるでしょう。

※ 霊的カルマ=人または人類の持つ魂の穢れ。幽体の意識の衝動として表面の意識では、知らず知らずの内に人の人生に大きな影響を与えてしまいます。

<霊って何?>

霊って何?

<雪景色>

雪景色

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[宗教] ブログ村キーワード

多くの宗教では目に見えない「神」といった高貴な存在を心に思い描いて信仰します。

その典型として石川県の奥能登では毎年12月の上旬に「アエノコト」と言って、紋付袴の正装で自宅に田の神を迎え、酒膳を並べ、目には見えないけれどそこへ本当に田の神が居らっしゃるつもりで、声を出し一つ一つの料理を説明し、お風呂にも入って貰ったりして接待をするそうです。

春まで自宅にお泊まり頂いて、春が来たら改めて先と同様の所作をして、田の神に田んぼへお帰り頂くそうです。

真の意味での「神」といった高貴な存在は、地上からはあまりに遠すぎる神質界に居らっしゃり、地上でそういった存在を知り得るのは、ブッダやキリストのような神体を有する神的達人だけと言えます。

私達のような凡人は「神」といった存在はただ想像するばかりです。

しかしながら、それがとても大切なのだと言えます。

目には見えなくとも「神」を求める事によって、そうした存在に連なる、高貴な霊魂よりの力を受け取る事が出来るからです。

あまりにも高い世界に居らっしゃる神と地上の人との間には、数限り無い無数の霊魂方が間を繋いでいます。

端的に表せば、神のすぐ近くでお仕えする上級霊界の霊魂(上級霊魂)、上級幽界の霊魂(守護霊)、上層幽界の霊魂(補助霊)、といった霊魂方が居らっしゃいます。

「神」を求める事で、その祈りの真剣さ、霊的な成長・段階に応じた霊魂まで想いが届きます。

場合によっては、漸次、より上の存在に伝えられ、一番上の存在にまでその想いが届けられる可能性も有るでしょう。

目に見えず、声は聞こえず、何も分からなくとも、高貴な存在を求める事で、高貴な世界からの力が降りて来ます。

それは自身の魂や霊的身体にとっては明らかな実質です。

魂の長い歴史に於いて、正しい霊的な進歩・向上に結び付いていきます。

道はさまざまです。

それぞれの方の機根に応じた道が有ると言えるでしょう。

所詮、人には「神」は高貴過ぎて分かりません。

でもだからこそ、時にアマテラス、時にアミダ、時にゴッドとそれぞれの道に応じた名をお呼びし、高貴な存在を自分なりに思い浮かべ求める価値が有るのだと言えます。

頭では理解出来ない存在だから、少女がまだ見ぬ白馬の王子様を夢見るように、高貴な存在を求める必要が有るのだと言えます。

それぞれの道に於いて、真剣に神を求め、最善の努力をするなら、必ずそれに応じた高貴な力は降りて来ます。

イエス師の言われた「汝の神を求めよ」こそ全ての人にとって共通の真理だと思います。

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