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肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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捨てる神有れば、拾う神有り

ある日、公園を散歩していると、20代くらいでしょうか。若者が大事そうに猫を抱っこしています・・・。

その公園には捨て猫が多いのです。

市の方でも随分、苦慮している様子・・・。

そうした中、一見、所謂、チャラチャラした感じの髪形と服装の若者達が数名、猫の家を作り、エサを遣り、一所懸命、猫達の世話をしています。

いつの時代も「今時の若者は・・・。」と言われがちなものですが、しかしながら、「今時の若者、捨てたもんじゃない。」と少し、心が暖かく成りました。

世の中には動物を捨てる人が居ます。

そして可哀想と思いながらも、何も出来ないか、その場だけでも、手持ちの食べ物を上げるのが、大半の場合だと言えます。

なかなか日常的にお世話をして行く事は出来ないものです。

人には自由が有り、捨て猫の世話をする義務は全く有りません。

それでもそれを為すというのは、やはり愛が有るからだと言えるでしょう。

若者達の姿に、少し、未来への希望を見出せたような気がしました・・・。

「捨てる神有れば、拾う神有り」と言う諺が有ります。

真の意味での神は、そのような言葉で表す事が出来るような小さなご存在では有りません。

霊魂学で定義するところの神々。つまり「神霊」は地球全体を見晴るかす。いや宇宙全体を見晴るかす。そうした巨大な個性の事を差します。

そして、人に自由が有るように、神々と言われる存在にも自由が有ります。

私が私の師より伝え聞いたところによれば、神々にも地上に目を向けて居らっしゃる神霊、そうでは無い神霊と居らっしゃるようです。

なにせ、神々にも神々としての、神々の世界でのご生活がお有りに成る訳ですから・・・。

人間の為に、神々が存在して居らっしゃる訳では無いのです・・・。

それでも尚、地上に目をお向けに成る神霊が居らっしゃるそうです。

そのあまりにも高貴な神的視覚には、この争いと欲望に満ちた地上の世界は穢れに満ちて、とても堪え難い世界との事です。

歴史上、数々の修行者達が修行を行い、神霊が天空より見て、地上を見る為の目印と成り得る、神的アンテナとしての神山が育まれて来ました。

その山が日本には有ります。

それは一宗教、一思想に限定される小さなアンテナでは有りません。

ゴッドであれ、仏であれ、八百万の神であれ、その正体は一つ。

人がそれぞれの神の名を真剣に呼ぶ時、それは地上に目を向けて下さっている巨大な個性よりの力の流れを受けるのだと言えます。

名も無き神。そして自分勝手に生き、争いばかりをし、欲望のみを追求して生きる人間。それでも人知れず、高貴なる存在は人類に手を差し伸べんとする・・・。

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テーマ: スピリチュアル
ジャンル: 心と身体

本当の愛とは・・・。

愛は大切であると言えます。何故なら世界中の人が喧嘩ばかりして居ては非常に住みづらいし、場合によっては命の危険すら有ります。街を歩くにも、まるでサバンナの真ん中で、常にライオンに狙われているようなものと言えるでしょう。

故に昔から「愛」という事は強調されて来ました。この世の生活を円滑に進める上では大切な事と言えるでしょう。

しかしながら「愛」もそれを強調し過ぎる事は、必ず反動を生んでしまいます。何故なら人には肉体、幽体が有り、その本性は自己保存欲だからです。

もちろん家族や親、兄弟への愛も有ります。そういった存在に対しては命を投げ打ってでも守ろうとします。しかしそれ以上の愛とも成ると、例えば見ず知らずの人に全財産を譲ったり、命を捧げる事は大変難しい事です。

それでも教えや道徳によって徹底した利他愛を叩き込まれると、それは必ず反動を生んでしまいます。その潜在心は大変なストレスを抱え込みます。

それでも自分はこれだけ社会奉仕をして来たのだから、必ず天国に行けると信じ、やがて他界して行きます。そしていつも申し上げるように、人は単に良い事をしたから、幽界で上方の世界に入れる訳では有りません。あくまで幽体の霊的状態が大切。生前、幽体の霊的な栄養とも言える高級な幽気を吸収し、幽体を成長させていたかどうか。それによってあの世での上下が決まると言えます。

そしてそれには信仰心が必要で正しく高貴な霊魂との繋がりを持たねば成りません。そうすれば人が神の名を呼ぶ時、神の使いとも言える高貴な霊魂より高い幽気が降りて来ます。その質の高い幽気を吸収する事で、初めて幽体は成長します。

もし高貴な霊魂との繋がりが無く幽体が未熟な状態で幽界に入れば、決して高い世界には入れません。未熟な幽体に相応しい、未熟な世界に入ります。

人の心の善し悪しとは関係無く、それは霊的な法則なのです。「自分はこれほどまでに善行を行なって来たのに、何でこんな世界に入らなければならないのだ!」今まで抑えていた衝動は箍(たが)の外れたように爆発し、どんどん愛とは正反対の残忍とも言える程の性質へと変化して行きます。

愛は確かに大切。しかしながら、本当に愛の有る人は自分の愛の少なさを嘆き恥じて、軽々しく愛を口にする事が出来るものでは有りません。

真の愛は教えや道徳による刷り込みでは生まれて来ないものです。所詮、人の愛は小さく限界が有ります。しかし神霊の愛はあまりに巨大で計り知れません。

愛を知るなら、古への達人が言われたように先ず「汝の神を愛せよ。」そして次に「汝の隣人を愛せよ。」

善行を行なったから神に通じるのでは有りません。先ず神を求め高級な霊的エネルギーを吸収し、霊的身体(幽体・霊体)の強化並びに魂の浄化といった霊的な成長を得てこそ、神よりの愛が自然と少しずつ、その行動や言葉に滲み出るように成って行くのだと言えます。

単にニコニコ笑顔だから良いとは限らない。しかめっ面の頑固オヤジのぶっきら棒な一言に大変深い愛情が含まれている事だって有るのです。

愛は大切だけれども、だからこそ軽々しく連呼するのでは無く、一にも二にも先ず神霊を求める事から、全てが始まるのだと言えます。

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