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Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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あの世

この時期は年度末の切り変わりで、各企業では決算や人事異動、学生さんなら、進学・就職でそれぞれ大きな節目の時期かと思います。

節目が有るからこそ、変化が有って時に喜び、時に悲しみも有るのでしょう。

ならば、霊的世界はいかがでしょう。

とかく人はあの世の存在を信じても、何かとこの世の尺度で推し量って、その延長のように考えてしまいがちです。

あの世では、この世のような時間の感覚や単位は有りません。

但し、何らかの理由でこの世に働き掛ける時は、人間が用いている単位を理解してそれに合わせていくようです。

あの世は人の想像以上に感覚の異なる世界のようです。

肉の脳を越えた世界で、神も霊魂も人の為に存在する訳でなく、寧ろその逆で有る事を再認識する必要があるかもしれません。


テーマ: 思ったこと・感じたこと
ジャンル: 日記

コメント

もうつあるとでございます。

こんにちは興味深く読ませていただきました。
ヴィシュヌ神の言葉か失念しましたが、「真の知識は人を解放させるものである」というものがありました。
まあ私などが引用して浅薄な思考で解釈を試みた処で、その真意は見えてきませんが。
結構いろいろな方面で慌しい時期です。このようなときだからこそWalkさんのおっしゃるように世に変化があるという実感と、それに随伴する「悲しみ」があるのでしょう。
私は大学で化学を専攻しながら、インド哲学を独自に研究していますが、「無常」という言葉一つにも多くの解釈があります。
中村元先生、毎田周一先生など、この分野での泰山北斗の著作書写を通して、菩提樹の下で悟られた釈尊の教えを柔軟な理性で反芻していきたいですね。
仏教には「此世」「彼岸」という概念があります。
前者は現今の認識そのものであり、後者は諸説あるようですが私は「無常と一体となった境涯」と考えています。今を生きている主観は、デカルトのいう「我思う故に我あり」の世界観と考えてもよろしいと思うのですが、このような実存主義もアカデミックな世界で随分称賛され罵倒され続けてきたので何も私はいえません。
ある、ということは確かに事実であると私は考えます。
そしてあるとの反対がないですが。そのような単純な二元論に陥ってしまっては、生と死など考える土台もつくれません。
如来という存在は、悟られた方々が現世で苦しむ衆生を救うためにおられるのです。
認識上では、生きることとはどこまでも現実的なものです。生きている間は死んでいないし、死んだ後は生きていない、よって死など我々にはなんの問題も無い、という戯児的な言説を弄した古代の哲学者がいました。
生きている間は決して死んでいないのです。しかし死について考えます。
そして必ず死はあると信じています。
ここに、経験から事実を事実として認識する理性的な人間にあるまじき過誤を私は見ます。
周囲の人の死を見て、自分もそのように死ぬのだと考えるのは、論理学的に妥当でしょうか。周囲の人たちの落命の事実は、自明です。しかしその事実が、自分の最終的な運命であると限りなく信仰に近い形で疑うことをしりません。そのような誤認(真理か否かは別として、ここではあくまでそれが理論的な妥当性を帯びているかが問題)の一般的なプロセスを考えて見ます。
周囲の人の死。(病理学的なしではなく、客観的経験による認識)

人間は死ぬものであるという一般化(ここに本源的な誤謬がある)

自分も人間である

ゆえに自分も死ぬ
これは一見妥当ですが、二番目の一般化は少なくとも理論的な帰納法で満足できるものではありません。
また自分とその自分により認識される多数の存在とを合致させることも、私から見れば限りなく真実に近い錯覚というように思えます。
まあ一過ぎ縄では行かない話で、このような数学じみた機械的な論及をここで行っても、我々に知りえる現象範囲は猫額の如しです。
これを機会に、懐疑派として、また真摯な仏教徒として、人間界をはじめ森羅万象、すべてを対象に思索を巡らし、真と一体化するよう修行に専念していく所存でございます。
どうも、ありがとうございました。
随分、長い間、疎遠でしたけれども、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

Mozaltさん、こんばんは。こちらこそご無沙汰しております。お元気でしたか?
Mozaltさんは化学の専攻ですか。失礼ながらちょっとイメージが違ってびっくりです。(笑)
確かに人が生きている事は、存在しているという事実の証明そのものですね。
ある説によると、三界(欲界・色界・無色界)は本来存在せず、苦しみも迷いも不幸も実在では無いのだそうです。
苦しみを和らげる為の発想の転換としては良いかも知れません。
でもやっぱり有るものは有るし、無いものは無いと事実を素直に受け入れる方が自然であると思います。
難しい理論でこねくり回し、今そこで死にかけている人をつかまえて、この人の苦しみは本来存在しないからと放っておいては、何の為の哲学か分かりません。
観念遊びで空想の世界を彷徨っていては何ら世の中は救われません。
霊的・宗教的世界は本当はもっとも科学的な見方が必要な世界だと思います。
主観を交えず事実をありのまま見つめる。
真の意味で科学をするならば、自ずと神や霊魂の実在も浮かび上がってくるものと思います。
文明が発達した現代で有るからこそ、想像、空想、錯覚で神や霊魂を追い求める時代はそろそろ終わりにしなければならないと思います。
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