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Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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師走

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会社への通路に差し掛かった時、その屋根から何かがポトンと落ちて来ました。

何かなとふと思いましたが、あまり気にせず歩いていると、腕に何かが・・・。

なんと、それは綺麗な緑のクツワ虫でした。

この寒さで、かなり弱っていました。生き物の儚さを感じます。

師走の語源はある一説によると「四極月」、春夏秋冬が終わる月という意味が有るそうです。

私の場合はこの意味が一番しっくり感じられます。

年月はただ流れて行くだけですが、その中にも初めと終わりが有って、更には発展と衰退を繰り返していきます。

日本の仏教では、新年を迎えるにあたり「除夜の鐘」を撞き、108つの煩悩を除き去ると言い、神道では「大祓い」によりこれまでの生活で身に付いた罪穢れを祓い清めると言います。

煩悩や罪穢れを落とし、清々しく新たまった姿で、新年を迎えようという日本の古くからの考えを受け継いでいると言えるのでしょう。

煩悩が無く、少しの罪も犯さないという人は、この世で肉体を持って生きる以上、一人も居ないと思います。

もし居るとすれば、それは偽善者では無いでしょうか?

生きる事は穢れを生じ、罪を作る事と言っても過言では無いかも知れません。
(ここで言う罪は法律上の罪のみを指すものでは有りません。)

だからこそ節目、節目に於て、人生を省み、人生を見直す考えが生まれたのでしょう。

しかし、そうした伝統も今や全く形だけのものと成ってしまいました。

単なる縁起担ぎで有ったり、気休めでしか無く、霊的な意味での力は有りません。

自分の側に寄っている、たった一体の未発達霊魂さえ退ける事が出来ません。

本来で有れば、自分の身に付いた霊的な意味での穢れと、魂の奥に巣食う霊的な罪を清め、遂には自身の霊的な意味での高貴な本性を取り戻す力が有ればと思うものです。

それがキリスト教で言う原罪を贖い、やがて神の国へ還る事にも繋がるのでは無いでしょうか。

こうした時代だからこそ、いくら物質的に満たされても、何処か空虚を覚え、矛盾を感じている方は多いと思います。

人は何もしなければ、徒らに時間は過ぎ去り、いつしか草の露のように虚しく消え去ります。

自ら求めて初めて、旧い自分を捨て、新たな自分に生まれ変わる事が出来ると言えます。

<冬椿>

椿

テーマ: 思ったこと・感じたこと
ジャンル: 日記

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