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Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

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夕日

[夕日] ブログ村キーワード

久し振りに夕日が沈む瞬間を見ました。

深紅の太陽がグイグイ、グイグイ地平線に吸い込まれて行きます。

力強くまるで生き物のようです。

私達は学校で教えられ、太陽の周りを地球が回るという事は、普段当たり前のように認識しています。

しかし改めて、こうして夕日を見てみると、視覚上は明らかに太陽が動いているように見えるものです。

昔の人が天動説を唱えた気持ちも、分からないでも無いと言えます。

しかも地球は公転をしながら、自転もしていると言います。それは自分では全く分かりません。

太陽が地球の周りを回っているように見える。

しかしそれでもやはり、地球は太陽の周りを回っています。

どのように自分の五感に映っても、事実は必ず一つしか無いと言えます。

人は何かをそうだと信じ込んでいるだけなのかも知れません。

「ホー、ホケキョ」の練習をしていた、ウグイスがそろそろ上手に鳴き始める時節に成って来ました。

良くウグイス色とは言いますが、あの抹茶のような緑色は実はメジロの羽根の色なんですよね。

本当のウグイスは、なかなかその姿を見る事が出来ません。

その美しい鳴き声には、似ても似つかぬ保護色の、あまりパッとしない姿と言えます。

またブッポウソウという青く美しい鳥が居ますが、この鳥はその昔、名前の通り「ブッ・ポウ・ソウ」と鳴くとされて来ました。

しかし実際の声の主はコノハズクというフクロウの仲間だという事が、昭和の初め頃に判明しています。

事実というものは、必ずしも人間の期待通りには沿ってくれません。

人は本来、霊的生命体。幽界では幽体を表面の身体として生活し、やがてその幽体の一部を地上に再生させ、それを何度も何度も繰り返し、長い長い魂の歴史を刻んでいきます。

人は特別な人、特殊な場合を除いて霊魂を見る事が出来ません。

特に現代のように、物質文明が飽和した世の中では、余計にこの世の事しか分からなく成ってしまうと言えます。

目に見えないもの、映らないものは信じない。でもいくらそのように思ったとしても、やはり事実は一つしか有りません。

霊魂は存在するかしないか。あの世は有るか無いか。

二つに一つ。この世の生を終える時、誰もがはっきり知る事に成ります。

その時、生前は無神論で「死んだら終わり。神も仏も有るものか」と、この世を好き放題に生きた人が笑うのか。

それとも神や霊魂を信じ、高貴な霊的世界よりの高級な霊的エネルギーを受け、幽体を成長させた人が、高貴な霊魂の迎えを受け、上方の幽界へ上がっていくのか・・・。

目に見えないからと、頭から否定するのは、現代の賢明な人の取る姿では無いでしょう。

「神や霊魂は居るかも知れないし、居ないかも知れない。先ずは冷静に考えてみよう。」せめて文明の進んだ現代だからこそ、そうした姿勢が必要なのでは無いでしょうか。

日本の神話では、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸の中に隠れられ、世の中が真っ暗に成ったと言います。

その時、八百万の神は岩戸の前に集まり、天照大御神に再び岩戸から出て頂けるよう相談をしました。鶏を鳴かせ、祝詞を唱え、舞を舞いありとあらゆる工夫をし、最後は鏡によって天照大御神に、お出でまし頂きました。

日本の神話は単なる御伽話では無く、古代人の霊感によって作成された部分を秘めています。

神話でいう八百万の神を、仮に現代人に置き換えて考えてみるといかがでしょう。

そして日本には真の意味での神界にまで通じ得る神的アンテナが、古代より人知れず受け継がれています。

その神的アンテナを岩戸として考えるなら、神的アンテナを中心に多くの人が集まり、真の意味での神霊を求め、自らの魂の鏡にそれぞれの器に応じて、その神霊の御姿を映す時、神霊は岩戸からお出でましに成るのかも知れません。

魂と心は同じものでは有りません。魂は心より遥かに奥が深く巨大です。

そして魂としての鏡を磨くとは、自身の魂に巣喰う罪穢れを清め、幽体を初めとする自身の霊的な身体を鍛え、最後に魂の奥の奥に隠れている、自身の本来の神性、高貴な光を引き出す事だと言えます。

それを実現する最良の方法は、我田引水ながら、霊的トレーニング(神伝禊法・神伝鎮魂法)だと私は思っています。

闇は光によって消えます。しかし光の神は八百万の神が集まり、努力したからこそ、お出でましに成ると言えるでしょう。

岩戸は重く、多くの人が力づくで開けようとしても、あらゆる科学の粋を集めても開けません。

また単に待っているだけでも開かれません。

春のウグイスは最初は下手な鳴き声で未熟なものです。

人も神霊よりみれば、どんな人であっても未熟な存在で、それでも霊的向上の道を目指す時、一歩づつ前進する事が出来ます。

多くの人が磨かれた高貴な魂の鏡を持ち寄れば、自ずと岩戸は開かれると信じます。

岩戸の向こうには光の神が居らっしゃる・・・。

<霊って何?>

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夕日

テーマ: 心、意識、魂、生命、人間の可能性
ジャンル: 心と身体

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