プロフィール

Walk

Author:Walk
肉を食べ酒も飲み、妻も子供も居る全くの一般人です。それでも道を求める手立ては有ると信じて、至らぬながら日々、禊(みそぎ)と鎮魂(ちんこん)の霊的トレーニングを行なっています。そんな一修行者の独り言を綴ります。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村



人気ブログランキングへ
     ↑
★ ランキングに参加中。よろしければポチッとお願い致します。

Facebookページ
電子書籍
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

Twitter
最新記事
最新コメント
つぶやき集
twilog
最新トラックバック
カテゴリ
ブログ内検索

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

祈り

[祈り] ブログ村キーワード

祈り。最近では、何かを必ず、願い事を掛けなければいけないと言った風潮が有ります。しかし、本来そういったものでは無いと言えます。

人が人に恋をして、あの人に会いたい、あの人と話しをしたい。そう思い、思わずその名前を呼んでしまう。本来の祈りは、そうした想いに似ていると言えるでしょう。

神に恋をして、思わずその御名を呼んでしまう・・・。

人には、本来、神を求め、神へ向って伸びて行こうとする何かが有ります。

少なくとも神は、人の物欲を叶える為に存在して居らっしゃる訳では有りません。

年に一回、神社・仏閣へ行き、少ないお賽銭を投げ、ありとあらゆる願を掛け、願いが叶わなければ、怒っている人が居ます。

それはあまりに、自分勝手な態度と言えるでしょう。

もし、自分が神様の立場だったらどうでしょう。年に一回しか来る事無く、少ない賽銭で、虫の良い事ばかり願い、何の努力も情熱も示さない人に、何とかしてやりたいと思うでしょうか?

何も神様の立場としてだけでは無く、人の世界でも、足繁く通い、誠意を示す営業さんには、何か買ってやろうか。取り引きをしても良いかと思うもの・・・。

如何なる世界も、それ相応の誠意や情熱を示さないと、誰も助けてくれるものでは有りません。

万が一、虫の良い話しが通るので有れば、この世も、あの世も後で怖い、辛い思いをします。

寧ろ、本当の意味で、相手の事を想ってくれている人は、却って厳しい態度や言葉を取る事も有るものです。

しかし最近の風潮は「あそこの神社は、こんな願いを叶えてくれた。こっちの神社は全然駄目だ。」と叶う、叶わないで評価されています。

実は全然、願いを叶えてくれない神社の方にこそ、高貴な霊魂が居らっしゃる可能性も有り得ます。

そして、目には見えず、物質的な願いは叶えてくれて居ないように見えるけれども、実は高貴な力。人間、本来、霊的な生命体として生き行く為の、魂の力を頂いているかも知れません。

但し、最近の神社・仏閣などの聖職者は一般人以上に物欲が強く、神仏や霊魂を否定する人が多く成っています。

それを考えると、そうした所に高貴な霊魂にお越し頂けるかどうかは、自ずと分かって来るものかと思います。

聖職者が真剣に聖地を守り、本物の高貴な霊魂が降りて来る、神社・仏閣、その他が増える事を心より願うものです。

祈りは、人の命に関わる事、人生の一大事に、祈る事は人として自然な姿でしょう。

しかしそれも、日々の神への想いの積み重ねが有ってこそ、初めて神に届くもの。

それが無ければ、どんな真剣な祈りも空しく響くばかりの事が多いのです。そして神も仏も居ないと呪ってしまい悪循環と成るばかり。

神と人との距離はますます遠く成って行く・・・。

日々の交流が全く無く、普段、少しも神へ顔を向けず、困った時だけの神頼み。付け焼き刃では難しいのだと言えます。

ましてや、虫の良い事ばかりを願うのは話しに成りません。

古の偉大な達人が言われました。「汝の神を愛せよ」と・・・。

何時の時代、何処の国、如何なる宗教・宗派にも通用する重い言葉と言えるでしょう。

テーマ: スピリチュアル
ジャンル: 心と身体

コメント

非公開コメント

霊魂学 ホームページ
◆ Walkの霊的トレーニングの師のホームページ



⇒ 霊に関する総合知識サイト

霊的情報館・霊を探る

⇒ れいをさぐる(スマホ版)



⇒ 人間の心、霊、意識を考察



⇒ 契山館についてのご案内

banar3

⇒ 水波霊魂学紹介サイト
水波霊魂学 書籍集
霊魂学関連サイト(English)
霊魂学 掲示板
霊魂学関係
お気に入り
My Photo Album
RSSリンクの表示
E-Mail

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。